バイリンガルに育てる父親の子育て方法。子供の英語教育には父の強力が大切

外国人観光客が多い地域に暮らす私たち一家にとって、外国人はとても身近な存在だ。

このところ、日本はどこへ行っても海外からの旅行客がいる。不思議な時代になったな、と思う。

ひと昔前までは、いわゆる京都の寺院など、歴史的に有名な観光スポットが外国人旅行者たちのテッパンの訪問先だった。

それが、ここ最近は、有名なアニメの舞台になった場所や、良質な家電や電化製品が大量に購入できる家電量販店や、忍者体験ができたり、着物を着て古都を歩いたり、利き酒を楽しむなど、体験型の旅行など、実に様々な日本の楽しみ方が広まってきている。

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我が家は東京の都心部に位置していたが、別に東京タワーや浅草寺など、メジャーな観光スポットがすぐ近くにあるというわけではない。ただ、比較的安い値段で宿泊できるB&Bやシェアハウスなどが充実していて、バックパッカーの外国人や個人旅行の外国人がインターネットなどで情報を得て、よくやって来る。
平日、休日関係なく、街を歩いていると、本当に沢山の外国人とすれ違うのだ。

決して英語圏からの旅行客ばかりではないはずだ。
それなのに、彼らは皆、英語で私たちに色々聞いてくる。

私は自分の英語力にそれほど自信はなかったものの、片言の英語で道案内をしたり、ホテル探しを手伝ったり、カメラマンになったり、わりと彼らと交流する機会があった。

彼らは皆、英語が話せた。必ずと言っていいほど「Where are you from?(どこからいらしたんですか)」と聞くのがクセになっていたが、アメリカやイギリス、オーストラリアなど、英語圏のみならず、ヨーロッパ系であればフランス、イタリア、スペイン、ドイツ、ロシアなど、アジアは定番の中国や韓国の他に、ベトナムやインド、インドネシア、マレーシア、タイなど、実に多くの国の方が日本にやって来ていた。

そして、彼らは流暢だったり、流暢とは言えなくても十分伝わるレベルで英語を話す事ができた。

特に、島国である東南アジア諸国よりも、やはり大陸続きのヨーロッパ系の方の英語は素晴らしかった。

さも当たり前かのように英語でペラペラと話しかけられて、面食らってしまった事も多々あった。それが、フランス人やイタリア人だったのでさらに驚いた。

彼らにとって英語は世界中で通じる共通言語なのだ。
それなのに日本では英語が通じないことが多くて困る、と言っていた人がいた。

「日本は島国だからね、だからこそ独自の魅力的な文化を築き上げてきたと思うから、英語なんて喋れなくても問題ないか、ハハハ」気の良いそのイタリア人はそう言って笑っていたが、グローバル化が進み、英語なんてできて当たり前という風潮が強まってきた昨今、いくら島国で暮らしているからといって、世界に目を向けずに内に篭り続けるわけにもいかないだろう。

これからの時代は、バイリンガル時代だと、私はそう思う。

英語は話せて当たり前。そうでないと、世界を渡り歩くことはできない。

言葉のせいで子どもの将来の可能性をつぶしてしまうようなことだけはしたくなかった。

だから、うちの娘には、小さなうちに英語教育をきちんとしてやろうと、そう思っていた。

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妻も、私の意向には賛同してくれていた。
そしてそんな妻は、英語が得意だった。

妻に、どうやって英語を勉強したか聞いてみると、特に小さい頃に英会話スクールに通ったり、英語塾に通ったりしたわけではないと言い出した。

「私たちのころは、そんなに活発じゃなかったじゃない」

言われてみれば確かにそうだった。英語はわざわざ子どもに習わせる習い事としては、ピアノや水泳、サッカーなどに比べると、あまり人気ではなかった。中学から学校で習うというのも、他の習い事が選ばれてしまう大きな理由だったのかもしれない。

妻は、中学で英語の勉強を始め、そこから英語にはまったという。

たまたま月に2回ほど学校に来てくれるネイティブの先生がとても良い先生だったという。それで、途中からESS部に転部するくらい英語にはまってしまい、みるみる上達したという。

高校も英語に特化した公立高校に進み、大学も英語の授業があるような、国際理解系の学部に進学した。
在学中にイギリスに留学し、帰国してからも、英語を使う仕事に就いてバリバリ働いていた。今も子育てをしながら、自宅で翻訳の仕事をしている。

こんな母親をもてば、子どもは自然に英語が話せるようになる、というか、母親が熱心に英語教育をしてやることができるのでは、と思われるかもしれないが、そこが親子の難しいところで、娘は母親から何か指示されたり強要されるのを極端に嫌がった。

よくピアノなどでそういった話を聞くが、母親がピアノの先生をしている場合でも、その家の子どもは外部のピアノ教室に通っていたりする。

母親が教えると、上手くいかない事が多いらしいのだ。親子だとお互い遠慮がなくなるのですぐケンカになったり、いがみあいになるという。

我が家も同じだった。妻が娘に英語をやろうと働きかけようものなら、娘はすぐに嫌々モードに切り替わってしまう。

しかし、近所にはなかなか良い英語教室が無く、通信教材を取り寄せたところで、結局妻が絡んでくると娘はやらなくなるし、インターナショナルプリスクールのような環境は我が家には経済的に少し敷居が高いし、良い案が思い浮かばなかった。

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そんな折、テレビ番組で、親子で一緒に習い事をする事による相乗効果について特集が組まれたものを見る機会があった。

その番組では、ボルダリングに興味をもった父親がボルダリングにハマッたところ、息子も「やりたい」と言いだし、親子でボルダリングに熱中するようになったという事例を取り上げて、親が何かに熱中する姿は、子どもにダイレクトに影響を与えるという解説に繋げていた。

同様に、母親がピアノ教師で、娘が練習を嫌がるという状況を、父親も一緒に母からピアノを習うという状況を作ってみたところ、見事に解決できたという事例も紹介された。

父が楽しそうに母からピアノの手ほどきを受けるという姿は、娘の目にはさぞ楽しそうに映ったに違いない。また、母親を独り占めしたいお年頃の女の子にとって、母親と父親が楽しそうにピアノのレッスンをしている様子を見せつけられると、自分がのけものにされたような気がして仲間に入れてほしくなるのだそうだ。

この番組を見て、私も妻も「これだ!」と確信した。

妻が私に英語を教え、私がとても楽しそうに妻から英語の手ほどきをうけ、英語は楽しいね、という和気藹々とした雰囲気を作り出す。この作戦で娘に「私もやる!」と言わせる作戦だ。

娘は母から「英語の勉強をしなさい」と言われるのを嫌がったが、それ以外の時間はお母さん子で母親にベッタリというタイプだったので、きっと効果てきめんだと思った。

私もかねてから英語がペラペラ話せる妻のことを羨ましいな、と思っていたので、絶好のチャンスだった。
一家丸々みんなで英語をマスターしてしまえば、娘も自然とバイリンガルへの道を歩んでくれるだろう。

かくして、我が家の壮大な計画がスタートした。

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妻は私と娘にどのように英語のアプローチをしていくか考えてくれた。
教材はどうするか、何かCDなどを使ったりするか、いっそ家中全て英語のものにしてしまうか、などあれこれ悩んでいた。

「テレビも新聞も英語はキツイなぁ」とぼやくと「そうだよね」と苦笑いしてくれたが、「でも子どもの番組をパパと一緒に見るっていうのは良いと思うんだよね。ほら、簡単な英語だし楽しい番組だからパパにはピッタリだよって言ってあなたに見せるの。そしたら親子そろって見るって風にもってけないかなぁ」と考えてくれたので、我が家のテレビに国際チャンネルが入るような設定を新たに加えることにした。

娘がそのアニメや子ども番組にはまってしまえばこっちのものだ。
私が会社に出かけている時でも、娘自身から「あのアニメ見せて」とせがむようになること、これが私たち夫婦の意図するところだった。

日常会話に英語を取り入れてみるのも良いよね、という話になった。

「Pass me solt, please(塩を取ってください)」など、日常会話で簡単なものは夫婦間で英語でやりとりしてみるというのもひとつの手だった。

「ずっとじゃストレスになるし、日本語と英語で混乱させちゃうかもしれないから、English Timeみたいなものを設けて、英語しばりの時間を作っちゃうとかね」

これはなかなか良い案だった。私がうっかり日本語を話して娘から「パパ、日本語喋っちゃいけないんだ~」と指摘される姿まで容易に想像できた。このくらいおだててパパである私が少しマヌケな立場を貫いた方が、娘は調子に乗ってぐいぐい英語に引き込まれてくれるだろう。

こうして妻と作戦会議を重ねて、我が家の娘のバイリンガル教育作戦のおおまかな方針が決まった。

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まず、プロットとしてはこうだ。

外国人観光客の方に英語で上手く道案内ができなくて落ち込むパパがそれを夕飯の時に話す。

それを聞いたママが、ちょっとふざけたように「パパに英語教えてあげよっか」と打診。
「ぜひとも!」と超ノリノリなパパ。

そしてパパはママから英語のレッスンを受けることになる。

レッスンは土曜日の午前中。ここで娘がどう絡んでくるか分からないが、妻が私に英語の基礎的な訓練をしてくれることになっていた。娘の食い付き次第で、「パパでも分かる英語のアニメ、見てみようか」と言って英語のアニメを見せる。

毎週土曜日の午前中はパパの英語レッスンで固定。
それからその土曜日の晩御飯の時間帯はなるべく英語で話す時間とする。

このような形で大枠を決めた。
そして実行した。

最初の持って行き方は、予想以上にスムーズで、娘は「じゃあママから英語教えてもらえばいいじゃん」と、まさかの助け舟を出してくれたりした。そして、我々の予想通り、私と妻の英語レッスンの邪魔をしてきた。

「一緒にやるー!」とわめいてくれたので、3人での英語のレッスンとなった。

そしてアニメへの食いつきもよく、じっと見入っていた。

おそらく言葉が分かる分からない、に関らず単純にアニメーションに魅せられたのだと思うが、大人しくじっと見つめて、時折笑っていた。そのうち何を喋っているのかも分かるようになってくれれば良いな、と思いながらその様子を見守った。

その日の晩、「今日からね、土曜日の晩御飯の時間はパパのために英語でお話する事にしたの」と妻が娘に言い、英語しばりの夕食が始まった。

とはいえ、簡単な英語しか使わずにやりとりをしていたので、娘もそれほどストレスを感じず、むしろ、何か取ってもらった時などに「サンキュー」と英語でお礼を言うなど、娘なりに参加してくれた。

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初回はなかなか良い感触だった。
これを続けていってどうなるか、そこにかかっているな、という所感をもって、しばらく様子を見てみることにした。

上手くいくものなのか、それともなかなか難しいのか、計画してスタートさせた時点では何とも言えなかったのだが、やっていくうちに、少しずつ娘の英語力が伸び、同時に妻から英語を教わる事に対する反抗的な態度がおさまってきた。

妻も、私と娘2人に教えているうちに教え方のコツなども分かってきたのだろう、円満なレッスンができるようになってきていた。

そして、最も効果があったのが、予想通りというか期待通りというか、英語のテレビ番組だった。

最初に見せたアニメをはじめ、子ども向けの英語の番組も好きになったらしく、ひとりでテレビを観る時も英語の番組を見るようになった。

日本の子ども向け番組はほとんど見なくなり、幼稚園のお友だちの話についていけるのかな、と一抹の不安を覚えなくもなかったが、ある程度の知識があればお友だち同士の会話から外れてしまうこともなかったようで、心配はいらなかった。

よく日本のアニメで日本語を覚えたという外国の方がいるが、まさに娘はそのようなイメージだった。
妻から娘への英語のレッスンよりも、テレビの方が威力があったようだ。

土曜日の夕飯は相変わらず英語しばりで会話していたが、娘が大きくなるにつて、お喋りになり、そのお喋りは日本語でも英語でも変わらなかった。
英語でしか話せないという事をものともせず、ペラペラとよく喋った。時々私でもついていけなくなるくらいだった。

私の英語は、大人になってから学び始めたという事もあり、また、平日は働きに出てしまっているため、緩やかにしか上達しなかったが、それでも街を訪れる外国の方と話す時に緊張せずナチュラルに会話ができるようまでには成長した。

一家そろって英語ペラペラなバイリンガルファミリーを目指して、今日も我が家は英語で溢れている。

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